学部時代に僕の所属していた北大ワンダーフォーゲル部では、
季節ごとに大きな山行(さんこう)が企画される。
中でも3月 − 厳冬期に比べて、雪の状態も天気も少し落ち着いてくる時期には、
1年の集大成として、
道内各地の山々へ『春ワン(春に行うワンデリング)』と呼ばれる長期山行が企画される。
春ワンは、その時期的な理由から4年生の卒業山行としての意味合いが強い
大学・部活に入って最初の年、
1年目の時の春ワンで、僕はとんとんさんという当時4年生だった方がリーダーとして計画した
北日高の縦走へ行った。
悪天にも晴天にも、
そしてたくさんのアクシデントにも見舞われたが
13日間、最高に面白い先輩たちと、どっぷりと山につかった。
景色の美しさに惹かれる気持ちや、かき立てられる冒険感だけではない何かを
この時、日高山脈で感じ、
僕は、その後、部活にのめりこむようになる。
それから、たくさんの人と山へ行った。
そして、ありがたいことに、今も山を続けれている。
あの春ワン以降も、何度と無く日高へ行ったが、
学部・部活を卒業してからというもの仕事も忙しくなり、
せいぜい日帰りで、それほど長期では行くことは無くなった。
北海道10年目の今年。
自分もようやく『学生』という身分を卒業できそうになり
一区切りついたところで、年甲斐も無く、春ワンにいきたいと思った。
おそらく来年からは北海道を離れる。
その前に『日高へ行きたい』
ちょうど、同じ時期に日高へ行きたいと思っていた部活の後輩キンタを誘って
1839峰を目指した。
晴れたコイカクシュサツナイ沢をつかって入山する。
まるでGWの頃のような移り変わりやすい天気展開に悩まされつつも、
どっぷりつかった6日間。
雲海の上の山脈で
快晴の中、カムエク、ペテガリなど名だたる山々を眺めながら、
真っ白につづく主稜線を、アイゼンをきかせて進む。
時には、細いナイフリッジ・岩稜に緊張し
どこを歩けばいいかわかりにくい両面雪庇に悩まされ
また、時には吹雪かれながら
雪洞を作って歩を進めた。
ルート状況が悪く、残念ながら前衛峰の直下で引き返しとなってしまったけど
とても充実した山行だった。
山行中、特に印象的だったのは、夜の日高山脈を見たとき。
ヤオロマップ岳の頂上に作った雪洞に止まっていたある日、
夜中におしっこがしたくて穴の外に出てみると、
そこには、満月に照らされてぼやっと不気味に白く光り
昼間みていたものと、同じとは到底おもえない雰囲気で
どこまでも続く日高山脈が横たわっていた。
眠るように静かに、
雲海の上で、夜を越していく山々。
いつも、明るいうちにしか行動せず、その時の山々しか見ていないからか
満月の日にでも当たらない限り、夜は真っ暗で何も見えないからか
もしくは、満月の夜に、冬の山脈が見渡せる頂上にいること自体、めったにないからか
いずれにせよ、夜も、そこにあるのは当たりまえなのに、
そしていつもその懐に立てたテントで、自分たちは眠っていたのに、
これまで全く、その存在を意識していなかった
夜の山の存在が、
たまらなく不思議な世界に見えた。
山を下りはじめる日
『都ぞ弥生』 を、今、自分たちが歩いてきた山々へ向かって歌い、
『面白いことをしながら生きていくぞー、また帰ってくるぞー』
と思いっきり叫んで、主稜線を後にした。
札幌へ帰ってきて、この日記を書きながら、
『今の自分から搾り出てくる言葉は、結局、そこなんだな』 と思う。
今は、それでいいと思う。